新着情報

2016年12月6日(火)
 12月議会一般質問について
2016年9月8日(木)
 ・9月議会のお知らせ
 ・湯浅止子後援会2016年度総会のお知らせを掲載しました。

2011/09/23

9月定例市議会一般質問



9月22日一般質問を行いました。


市川市のホームページからご覧いただけます。
http://ibs.city.ichikawa.chiba.jp/ibsweb/topPage.do?id=1633


(初回から一問一答)
○放射能について(関係者)(大項目ごと)
(1)原子力についての学校教育の対応を問う
(2)市民の意識についての把握を問う
(3)今後の測定と除染の計画と食材の安全を問う
○市職員の採用について(関係者)(大項目ごと)
(1)採用決定までのプロセスを問う
(2)受験者、採用者の市川市在住の割合を問う
(3)試験の公正さについて問う
○中学校の武道教育について(関係者)(大項目ごと)
(1)授業、部活動における指導者と過去の事故について問う
(2)柔道着貸与について問う
○小中学校図書費について(関係者)
・ 予算の変遷と教育委員会としての図書教育の方針を問う

2011/06/27

6月市議会 一般質問を行いました。

市川市議会6月定例会は6月10日に開会し、6月24日に閉会しました。
私は、6月21日に一般質問を行いました。
質問内容は以下の通りです。

○放射能の影響について(関係者)(中項目ごと)
(1)幼稚園、保育園、学校での放射線量測定後の保護者等への広報、周知について
(2)小中学校プールの清掃、またプール指導について
○市内公立小中学校の準要保護児童生徒の状況と対応(関係者)
○市内の子どもの虐待の状況と対策・問題点(関係者)
○街回遊展について(関係者)
・ 平成23年度の計画と今までの問題点と今後の方針
○全国学力・学習状況調査について(関係者)
・ 今年度の取り組みについて

2011/04/26

ようやく

選挙戦はようやく終わりました。
市川市民の皆様から1,626票を投票していただきました。
今後四年間の活動の糧として力を尽くしてまいりたいと思います。

3月11日から続く東日本大震災の影響でしょうか、投票率が低く選挙への関心が薄れてしまったのが、残念です。
今こそ日本の民主主義が試される時だと思っています。

2011/04/16

いよいよ

3月11日に起きた東日本大地震と津波によって、生活が大きく変わってしまいました。市川市やとなりの浦安市でも液状化や地盤沈下が起きました。市内では被害の大きかった塩浜地区の住民の方のお話を聞き、ほかにも塩浜中の被災状況を校長先生に案内していただきました。実際に現場を見るとその被害の大きさに衝撃を受けました。埋め立ての地域だけではなく、市川大野駅の周りにも地震の傷あとが残っています。
震源地から離れた市川市でもこの状況です。被災地の方々の心中はいかばかりかと、思いをはせます。

明日から市川市議会議員選挙が始まります。42名の定数のところに55人前後の立候補が予定されています。大激戦が予想されます。
選挙の準備に追われ、予断を許さない原発の状況とそれによる計画停電、余震の影響で、忙しくしているうちに満開の桜も葉桜になってしまいました。今年はお花見をする心の余裕がありませんでした。

明日4月17日から1週間、湯浅止子は政策を訴えるため市川市内を駆け巡ります。見かけたら、お声をかけてくださると嬉しく思います。

投票日は4月24日です。

2011/04/11

いちかわの美女

真間の手児奈

むかしむかしの、ずうっとむかしのことです。真間のあたりはじめじめした低い土地で、しょうぶやアシがいっぱいにはえていました。そして真間山のすぐ下まで海が入りこんでいて、その入江には舟のつく港があったということです。

そのころは、このあたりの井戸水は塩けをふくんでいてのみ水にすることができないので、困っていました。ところがたった一つだけ、「真間の井」とよぱれる井戸からは、きれいな水がこんこんとわきだしていました。だからこの里に住んでいる人びとは、この井戸に水をくみに集まりましたので、井戸のまわりはいつもにぎやかな話し声や笑い声がしていたといいます

この水くみに集まる人びとの中で、とくべつに目立って美しい「手児奈」という娘がいました手児奈は、青いえりのついた、麻のそまつな着物をきて、かみもとかさなければ、はき物もはかないのに、上品で、満月のようにかがやいた顔は、都の、どんなに着かざった姫よりも、清く、美しくみえました。

井戸に集まった娘たちは、水をくむのを待つ間に、そばの「鏡が池」に顔やすがたを写してみますが、その娘たちも、口をそろえて手児奈の美しさをほめました。

「手児奈が通る道のアシはね、手児奈のはだしや、白い手にきずがつかないようにと、葉を片方しか出さないということだよ。」
「そうだろう。心のないアシでさえ、手児奈を美しいと思うのだね。」
手児奈のうわさはつぎつぎと伝えられて、真間の台地におかれた国の役所にもひろまっていったのです。そして、里の若者だけでなく、国府の役人や、都からの旅人までやってきては、
「手児奈よ、どうかわたしの妻になってくれないか。美しい着物も、かみにかざる玉も思いのままじゃ。」

「いや、わしのむすこの嫁にきてくれ。」

「わたしなら、おまえをしあわせにしてあげられる。洗い物など、もう、おまえにはせさまい。」

「手児奈よ、わしといっしょに都で暮らそうぞ。」

などと、結婚をせまりました。そのようすは、夏の虫があかりをしたって集まるようだとか、舟が港に先をあらそってはいってくるようだっということです。

手児奈は、どんな申し出もことわりました。そのためには、手児奈のことを思って病気になるものや、兄と弟がみにくいけんかを起こすものもおりました。それをみた手児奈は、

「私の心は、いくらでも分けることはできます。でも、わたしの体は一つしかありません。もし、わたしがどなたかのお嫁さんになれば、ほかの人たちを不幸にしてしまうでしょう。ああ、わたしはどうしたらいいのでしょう。」

といいながら、真間の井戸からあふれて流れる小川にそって、とぼとぼと川下に向かって歩いていきました。手児奈のなみだも小川に落ちて流れていきました。

手児奈が真間の入江まできたとき、ちょうどまっ赤な夕日が海に落ちようとしていました。それを見て、
「どうせ長くもない一生です。わたしさえいなければ、けんかもなくなるでしよう。あの夕日ようにわたしも海へ入ってしまいましよう。」
と、そのまま海へ入ってしまったのです。

追いかけてきた男たちは、
「ああ、わたしたちが手児奈を苦しめてしまった。もっと、手児奈の気持ちを考えてあげれぱよかつたのに。」
と思いましたが、もう、どうしようもありません。

翌日、浜にうちあげられた手児奈のなきがらを、かわいそうに思った里人は、井戸のそぱに手厚くほうむりました。

真間の「手児奈霊堂」には、この手児奈をまつったもので、いまでは、安産の神さまとして、人びとがおまいりにいきます。

また、手児奈が水くみをしたという「真間の井」は手児奈霊堂の道をへだてた向かいにある「亀井院」というお寺の庭に残っています。






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